京都自由大学韓国訪問



24日(金)京畿市民社会フォーラムにおけるセミナーでは、冒頭に日本側の長野芳明先生(本学講師)の「戦争責任、侵略責任と日本国民」と、チャ・ミョンジュ先生(聖公会大学校NGO大学院研究教授)の「東アジア地域における平和構築の可能性を模索する・・・韓国と日本の市民社会の交流を通して」という二本の報告がなされた。(中略) 長野先生の報告は、日本の朝鮮侵略と植民地支配の歴史を回顧・反省しながら、その歴史の中でも朝鮮民衆と連帯しようとした文学者中野重治、槇村浩などの詩を紹介し、世界平和のための民衆連帯を交流の中で築こうと結論づけました。それは、長野先生の「民衆は他の民衆を受け入れ、互いを支えあう力を持っている人たち」であるという信念に裏付けられたものであった。なによりも長野先生の報告は、ドラマティックな詩の朗読や、植民地時代に亡国の悲しみを歌った、「ポンソナ(鳳仙花)」を美声で披露するなど、破格のもので、聴衆に大きな感動を与え、万雷の拍手を浴びたことを特に記しておきたい。
                                  徐勝(ソスン)京都自由大学副学長・立命館大学教授

      
                                                    徐勝教授と(背景はソウル駅)

韓国での東アジアの平和を巡るシンポジウムにて。
(左二番目:長野・京都自由大学を代表して) 2006.11.24



    
果川(カァチョン)市内風景     郊外の焼肉店で歓迎される   安山移民シェルターで。中央は牧師のキムヨンテ氏



        
  歓迎晩餐会で伝統音楽を鑑賞      ユ・ジンソンさん(龍仁市参与自治市民連帯共同代表)と

 長野先生は、教育哲学者であり、また詩人でもあるとお聞きしましたが、報告の途中、二編の詩をお詠みになりました。お陰さまで、久しぶりに詩を鑑賞することができました。二編の詩は「雨の降る品川駅」と「間島パルチザンの歌」です。迫力に満ちた詩を聞きながら、当時の情景を手に取るように感じることができました。詩や文学、芸術の力を、改めて、体験することができました。
 長野先生は、日本の戦争責任を指摘して、それは軍国主義者たちだけではなく、日本国民にも大きな責任があるとおっしゃいました。さらに、日本国民の無反省は未だに相変わらずで、靖国神社参拝を強行し、平和憲法改正を画策する政権に高い支持を送っていることからもわかると指摘しました。
 しかしながら、あの厳しい軍国主義時代でさえ、「雨の降る品川駅」や「間島パルチザンの歌」といった詩からもわかるように、植民地朝鮮の現実に胸を痛め、支配者・日本帝国主義に怒りを表明したたくさんの日本人がやはり存在していたということです。長野先生があえてこのような詩を朗読された裏には、この詩人たちのような人がいたということを知ってほしいというお気持ちがあったことと思います。
 不幸なことは、このような先覚者たちの存在があまり広く知られていないことです。日本人であれ、韓国人であれ、きょうこの場で、この詩を初めて聞いたという方がおそらく多かったのではないでしょうか。軍国主義者たちにのみ、日本の戦前の歴史を代表させてはならないと思います。このような詩を書いた人たちが実際にたくさん存在し、活躍したということを、日本と韓国の若者に広く知らせる時に、両国の真の友好と連帯ができるのではないでしょうか。
                                            ☆ ユ・ジンソンさんのコメント ☆


           
  歓迎晩餐会(食べきれないほど豊富で多彩な食事が提供された)での記念撮影と韓国側出席者の紹介シーン



 1度目の涙は、報告交流会で、長野先生が中野重治の詩「雨の降る品川駅」を朗読された時でした。(中略・チャ・ミュンジュ先生による)韓国の民主化と平和、南北統一の悲願を懸けた闘いの現代史の報告を聞いた後、「雨の降る品川駅」の詩の朗読は、まさに日韓両国の闘う人々の歴史のひとこまとして、目にうつりました。厳しい弾圧下、朝鮮独立のため祖国に帰り、命を賭して祖国独立のために闘う友への決別であると共に、闘う者への熱い連帯の歌であり、雨の降る品川駅の物悲しい情景が浮かび、思わず涙してしまいました。
                                                  (参加者の北川清子さん)



                  韓国で政治的難問に向き合う。基地問題、慰安婦問題・・・。

     
梅香里の団結小屋前で。(米軍射撃場返還運動)  大秋里で木戸衛一先生(大阪大学)と学生たちに出会う。(これも授業!)


         「ナヌムの家」に一泊。
  阪大の学生たちと。一言挨拶をさせられる。     慰安婦問題は胸が痛む。83歳、名古屋に住んだことがあるという。

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