感想と報告

研究会やシンポジウムなどに出席して話を聞くのは、独りで本や論文を読んで学ぶのとは別の刺激があります。何といっても生身の人間が議論をするのですから。そうした体験の中から書き留めた文章を徐々に掲載していきたいと思います。旅行記も含めようと思いますけれども、どうぞご一読下さい。


社会文化学会 (フランス社会文化交流会報告)

2003年大阪の桃山学院大学の分室で開かれた会について、学会紙に掲載したものです。




  「コアビタシオン(共生)による教育の可能性を探る」というタイトルのもとで開かれた今回のフランス文化交流会(7月19日・土)は、社会文化学会の特徴の一つである、実践と研究、学際と国際を地で行く会であった。
 本学会のフランス文化交流会は、大庭三枝会員(以後人名はすべてさん付けにします)によって数々の興味深い企画を経てきているが、大庭さんとフランスとのつながりをつけたのが、トゥレーヌ甲南学園での8年に及ぶ体験であることは周知の通りである。今回はまさにその大庭さんの強烈な実践そのものを通じてコアビタシオン(共生)を考えようという。僕にとっては、東京から会場である桃山学院大学大阪本町オフィスに駆けつける意義は充分にあった。
 トゥレーヌ甲南学園が、フランスのロワール地方という、フランス語が最も美しい(古城の宝庫ということだけで納得できよう)といわれ、ワインの名高い産地(シェーブルチーズも素晴らしく有名!うらやましい限り)でもあるロワール川の一帯に広がるトゥレーヌ地方に学園を開校したのは、1991年4月であるという。
 しかしもとよりフランスでの開校、それから後の運営が、ビジネスライクにとんとん拍子で進むなら誰も苦労しない。想像を越えた困難が待ち受けていたはずである。大庭さんはその最も困難な課題を抱えた学園に飛びこんで奮闘されたのだが、その意義の一つに、現地の人々との交流を通じて、異文化交流の成果をあげておくことはまことに当然である。
 異文化交流と書いたが、これを別の側面から観るならば、広く人類の「共生」という大変大きなテーマに関わる生活と実践ということになろう。こちらから招いてそれを行うのではなく、国を出て、教育現場で実践するという点に大きな意義がある。何しろ、若い人達の交流ほど、諸々の障害を乗り越える、生気ある可能性を持つものはないのだから。
 しかしその意義とても、評価を為し、広く伝えるという行動があてがわれて初めて可能である。その意味で、この社会文化学会での議論は注目に値するものであったろうと考える。
 会は、フランスからパトリシア・イチュルビットさん(サンシール市のベシェルリ中学校教諭)をお迎えして、当時のトゥレーヌ甲南学園高等部・中等部校長藤江環さんと共に、お二人のお話を伺う形で始まった。


元校長藤江環さんから

 藤江さんは「日本人学校の取り組みを通して」と題し、日本側の体験を下敷きに、自文化の誇りを持ってこそ対等の相互理解を目指すことができ、そのためにはこちら側の姿勢や個々人の成熟度が試されることを具体的に明かされた。結局は、その人の人となりが、フランス社会に受け入れられる上で厳しく吟味されるとされるのである。(そのことは西欧諸国に広く認められる現象で、特にフランスに限ったことではないかも知れない。)最初は距離を置いて付き合うが、信頼に足る人物と見なされれば、実に親身になって協力を惜しまない。信頼を得るためには、こちらの人物が問われる。相手側に対するこちらの積極的で心を開いた交流を行う興味や能力が弱くては話にならないのである。
 その点、ことは実に容易ではなかった筈である。「期待されて」誘致。しかし藤江校長は、着任して直ぐに、これはえらいところに来てしまった、と感じたそうである。つまりたったの4年で、学園は荒れ崩れてしまっていたのである。精神的な緩みが、服装や風紀や勉学に及んでくるというのは世間の通例である。特に「囲み教育」を是として、地域とのつながりもなく、外国で進学教育をやろうとすればどうなるか、その結末であった、と藤江さんは指摘する。
 教師は大多数が生徒と変わらぬ格好で授業をしている。これでは生徒指導などできない相談である。何をいわんや、生徒たちは自主性という名の下に放縦に捨て置かれているだけだったのである。自立なくして自主性なし。藤江さんはこう考えて、各地の学校を訪問。教育内容のレベルの高い学校では、教師も生徒も洗練されたセンスを持ち合わせていることに気付かされ、そこから、服装には教育の姿勢が現れているということを強烈に思い知らされたとのことであった。
 こうして藤江校長は「ドブ池で溺れている子達を救わなければ!」という教師の使命感にむち打って、この事態に立ち向かうことになったわけである。この時、大庭さんの果たした役割は多大であって、彼女の人間関係作りの労苦と成果が相当にものをいったという話も紹介された。ちなみに、藤江校長時代は、開校5年目から7年目の3年間であったが、途中で体調を崩し「死にかけたので辞めた」!ということである。いかに懸命に学園の立て直しに全力を傾けられていたか、その仕事ぶりを遺憾なく示す話である。
 人間関係作りは、学園内だけの問題ではない。フランス社会とのそれがある。当時の学園は、入学式や卒業式に来賓として来られるフランス人も開校時に比べ激減し、大変特殊な学校に見られていた。だから何としても、改革・改善しなくてはならない。馬鹿にされている状態を180度転換させる大仕事を行わなければならなかった。
 こうして地域での交流に力を入れ始めた藤江さんだが、藤江さんの赴任当初、既に地元フランス人は、開校時の期待を裏切ってきた学校の姿勢に対して見下すような態度をとるようになっていた。だからある交渉の場面では、「馬鹿にするな!」と怒鳴って向かい合ったことがあるそうだ。真剣に取り組もうとする気迫で、こちらの誇りが伝わったという。「なめられたらあかん」。フランス人はこれで自分を認めてくれたという。


パトリシア・イチュルビットさんから
 
 パトリシアさんはベテランの体育教師で、何といっても大庭さんがフランスを離れ、当時のような協力関係や交流が乏しくなった今、大庭さんとの日常的な付き合いが懐かしく、大変残念に感じていると話された。
 パトリシアさんのこのお話によって、パトリシアさんに代表されるフランス側の日本人教師への人間的信頼が、大変強く確かなものであったことを感じとった。人間的信頼の確立のために、両者がどれほど誠心誠意を込めて努力したか、そのことを思わされる。パトリシアさんは、決して日本に対する豊かな知識を備えていたわけではないけれども、大庭さんや学園との交流によって、日本の文化に強い興味を抱かされたという。先ず驚かされたのが、日本の教育システム。例えば、開校式典で知った厳粛な儀式。すべて時間通りに運ばれ、会場がシーンとしている。そもそも入学式や卒業式をしないフランス社会では、こうした儀式そのものが珍しく(軍隊の学校くらいがこうした儀式をする場だということで)、ちょっとしたカルチャーショックだったようだ。もちろん勉強の仕方も全く異なるので興味を抱いたし、諸々の差異が教師として大変興味深いものだったと発言された。
 体育の授業交流では、ゴルフなどを一緒にしたり、新体操も行ったそうだが、日本の阿波踊りや折り紙は大変好評であったそうだ。


会場とのやりとりから

 お二人の話が終わって会場とのやりとりに移った。通訳はすべて大庭三枝さんが担当。ここでは、いくつか印象に残った質疑内容と、次に、肝心の「コアビタシオン(共生)による教育」の可能性について考えることにしたい。
参加者の中に、夏休みで帰国中のトゥレーヌ甲南学園高等部の3年生の娘さんがあり、後から参加されたお母さんからも具体的な話を聞くことができた。
 現地の学校で学ぶ時間があるが、週に1〜2回でも受け入れてくれる!のだそうだ。フランスの生徒は「おいでよ、おいでよ」と誘ってくれる。日本では考えられないのでは、というのが娘さんの実感だ。母親の立場からは、お金がかかるという問題の他に、教育の内容や先行きの不安もあるという発言があった。
 ホームステイの話では、藤江さんが経済面から現地のフランス家庭の平均月収が15万円(手取り、ただし生活必需品の物価が日本より安いこと、社会保障の手厚さを考慮すると日本の月収30万円くらいの家庭に相当すると思われる)として、月7万円の収入は大きいと発言。パトリシアさんは、「親元を遠く離れて来る子ども達に何とかしてあげたいという思いがある」と指摘していた。
 藤江さんによると、フランス側が何故日本の学校を誘致したのかという問いに対しては、企業誘致が狙いであったということで、藤江校長着任当時の学校の状況に関しては、フランスを階層社会として見る場合、底辺校特有の悪い姿を見習ってしまっていたということである。
 底辺層については、パトリシアさんから難民を多く抱えている地域があり、治安に不安がある地域もあるとの指摘があった。公立学校でもそうした条件を考慮すると、レベルの相違が確かにあるという。
 藤江さんは、一人一人がオンリーワンという思想がフランスの家庭には存在していると指摘。共生が共に生きるということである以上、自分から足を使って出かけなくてはならないと自身の体験を披露し、両国の意識の違いについては、職員が起こした交通事故の一例を取りあげた。フランスの中学生の方が不注意ではあったのだが、職員がベシェルリ中学の生徒の自転車をひっかけてしまった。これは一体どういう事になるのかと不安に思っていたところ、相手の父親は弁護士であるが、自転車だけを直してくれればよいと話したそうだ。曰く車社会の中で自転車に乗るということはそういうことだ、注意を怠るとこうなる、と息子に諭したのでそれでよいというのである。金(弁償)よりも「自分の人生に責任を持つ」ということを子どもに教えようとしているのだ。藤江さんが強調されていた個人としての成熟度を、文化的背景において考えるならば、これはなかなか味わい深い実例であろう。


コアビタシオン(共生)と「連帯」

 例えば論語には「共学」という語が出てくる。しかし「共生」の言葉は文献的に古く遡ることはできないようで、それはそれとして一つのテーマになる問題だ。(但し現代中国語では、生物学や地学等でも使われ、すでに一般化しているということである。)日本語ではまだまだ聞き慣れない(読み慣れないではないけれども)語という感が強いのではないだろうか。
ここで今後の探究のために、語の意味に少々こだわっておきたい。
 ヨーロッパにおいては、古くギリシャにおいてすでに用いられていた語、それが現代英語と全く同じsymbiosisである。共同生活を意味するその語は、現在では代表的には生物学的な意味で用いられており、具体的な生活レベルではcohabitationという語が適用される。大庭さんに教わったのだが、これをフランス語で読んで「コアビタシオン」ということになるのである。英語でも仏語でもhabitationは住居とか住所で、英語ではinhabitに住むという意味がある(仏語はイナビテで無人という意味になる)ことはよく知られているだろう。ラテン語から生まれた言葉だ。ギリシャ語だとbioが住むという語に当たる。だからsymbiosisもcohabitationも意味するところは同じと見てよいであろう。大庭さんの話では、このコアビタシオンは、フランスでは政治の場でよく使われるそうで、例えば国民投票の大統領と議会投票の首相の所属政党が異なった場合に問題になるということである。その意味では英語でもこの語に政府内協力という意味をあてることがあるから、英仏ほぼ同様の使われ方があると考えてよいであろう。(同棲という意味もある)
 異文化理解教育とか国際教育という語に対し、「共生教育」という語はまだ一般的とは言えない。替わりに異文化共生教育とか多文化共生教育という語が使われている。これなら、90年代から徐々に語られるようになってなじみ深い人もあるだろう。これらの語はすべてコミュニケーションの意味を中核に持つと考えていいが、コアビタシオンの語が、共に住むという語義を持つ点からみるならば、異文化を理解する以前に、そもそも共同の場に「住む」ことへの認識が問われそうである。
住むことが前提されれば、当然相互協力が必要になってくるのであって、僕は、そこに連帯の意義が生じてくることを見逃したくない。連帯の語の意味は「ふたり以上の人が同一内容の事に共同の責任を負うこと」(廣漢和辭典下巻)である。責任という語に注意しておこう。この語が使われるようになったのはせいぜい明治以後のことのようだが、「廣漢和辭典」の語義解釈に従うならば、フランス語あるいは英語の翻訳過程で生まれたと見なすことも可能ではないだろうか。何故なら、英語におけるsolidarity(連帯)には、共通の責任や利害から生じる団結というか、結束の意味があって、単に寄せ集まった群衆行為などは論外であるからである。
 「責任」が含意される以上、「連帯」には共通の目的が存在する。共通の目的のために人々は責任を持ってことにあたらなければならないのである。異なった習慣を持つ人々が暮らす場合、お互いがお互いを迎え入れる気持ちがなければ、無視や排斥がまかり通る。共に仲良く暮らすために互いが努力をする必要が生じる。そこに責任が生じる。だから共に住まうということは連帯の精神を必要とする。
連帯と共生は一対で理解されていかなければならない。その意味で、国際理解や異文化理解等の語が、単にその字義以上を出ない理解に止まるとすれば反省の余地があるとしなければならないだろう。


コアビタシオン(共生)による教育の可能性

 大庭さんはコアビタシオンの語をもっと広めたいという気持ちでいる。日本語としての「共生」は、男女共生も、老若共生も、障害者との共生も、在日外国人との共生も、環境や自然との共生もあって、様々な面から使われる言葉である。しかし、そのどれにも共に住むという表面的な理解ではなく、連帯に至る気高い精神が込められなくてはならないことを確認したいと考えるのである。
フランスに於けるトゥレーヌ甲南学園の実践報告を聴く限り、コアビタシオンとは、特に日本側において、率直に社会に溶け込む行動力と意志の如何が弱ければ、何のことはない、大変いびつな生活を送るしかないということが見えてくる。例えば、フランスに居て日本の「受験教育」を行うなど、理解に苦しむ考え方であって、単に錯誤であったにしても、これではもう始めから彼の地を利用する発想に過ぎず、国際理解の名が聞いてあきれるほどのものだと言われても仕方があるまい。だから、藤江校長、大庭さん達、日本側の活動の意義は多大なのだ。動機の面からいえば、「企業誘致」が目的とされる当地の姿勢にも問題があるであろうが、その面だけで結論づけることができないのは、パトリシアさん達の熱意と期待を感じ取るだけで十分納得ができることであろう。
 コアビタシオンには、いくつかの側面と段階がある。藤江校長と大庭さん達職員が成し遂げたことは、利益誘導型モチベーションを、人を育て人の視野を広げるという本来の教育目標の的を外さず、個々の人格的努力を通じて克服していったことであるように思う。紙面の関係もあるので、詳論は控える。その代わり、これまでの記述の不備をも含めて、社会文化学会の会員の皆さんが、あらためて「共生」の意味するところを考えて下さることを願う。イラク戦争が起きた今年、その意義はこれから益々大きくなるであろうから。



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