世界中の人々がものを考え、お互いを尊重する関係を築いて、過ごしやすい平和な社会を実現する道はどこに?
 海外での活動を通じて痛感するのは、日本の教育が世界に通じる力量を持って前進するということです。課題は山積していますが、ほとんど一握りの者だけを相手にして高度な教育を行う仕組みをずっと働かせてきた日本は、根本的な意識改革を迫られていると思います。受験に勝って高等教育を受けても、礼儀作法がなく、学歴に頼る輩を輩出しても、決して世のためにはなりません。
 閉塞知を打破して、本物の思考を働かせるようにするにはどうしたらよいか。人々の幸福や平和を考えて活きる人間をどう育てるのか。僕の「知識論」の動機は、まさにその意識に基づいています。


世界へ出て


 
  世界へ出てみると、誰でも多少なりとも、過去と現在を射貫いてものを考えるだろう、と思う。

 僕の場合、この十数年間で、10カ国以上は滞在したが、1度だけ訪れた国にも、通り過ぎただけの国にも、そしてまだ訪問していない国々にも、ある共通の感慨というべきものが起こるのである。
 世界各地の文化に触れることは眠っていた気持ちを呼び起こし新鮮な生産力を自分に与える。まさに刺激的である。自分が実際に接した地域はまだまだ非常に僅かでしかないが、世界各地で人々に出会い、様々な風景の中で人間の姿に触れていると、人は皆共通して、身体にも心にも温みのある存在であるのだという自明のことにあらためて思い至らざるを得ない。それぞれの歴史を生き、それぞれの家族を持つ存在であることを・・・。
 キリスト教巡礼者の一団と食事を共にしたことも、危ない目にあったこともある。しかし、わけても、子どもも含め、見捨てられた人々が貧困にあえいで差し出す手や眼差しには、何とも言えない境遇の差を感じて、人間が平等であるということをどう受け止めたらいいのかと、いやがおうにも色々考えさせられてしまうのである。平和に生きることの尊さを、あらためて思い直させられるのである。戦争など、もってのほかの蛮行である。
 数多く訪問したのはフランスである。すでに9回訪れているが、その印象を綴るには稿をあらためるしかない。それにしても、市井の子供たちや青年たちが、他者に対するマナーを心得て行動している姿には何度も驚かされたことであった。
 ロシアでは、ソ連崩壊の後だけに、その厳しい社会状況を目の当たりにして、特に色々考えさせられた。モスクワ、サンクトペテルベルグ、ボルゴグラード等にはいずれも数度訪れているけれども、特に、ボルゴグラード(旧スターリングラード)にある
ママエフの丘が忘れがたい。        この丘にそびえる、第2次大戦の想像を絶する戦いを記念した闘う女性の巨大な像。それに戦没者記念ホール。ここを訪れた時には、さすがに何ともいえない厳粛な気持ちに包まされた。半世紀前のこの世界史を揺るがせた戦いに対して、自分は余りに無知ではなかったか。学力王国を誇るはずの我が国の知識教育は場当たり的で、余りに自己中心的ではないのか。
 市内にある戦争記念の
パノラマ博物館には、ドイツも含む各国首脳から寄贈された品々が収められ、その由来が説明されている。日本の物はなかったのだが、それとは少し離れた場所に、重要無形文化財保持者の銘の入った日本の鉦がひっそり置かれてあったのに気付いた。それは広島市が姉妹都市として贈ったものであった。吉田茂の、「平和」という文字が並々ならぬ印象を僕に与えた。

 ロシアでは、モスクワの学術誌『哲学と社会』誌に、学会で発表した僕の知識論が英語論文で採用され、掲載されている。また、ケンブリッジ出版発行の哲学論文集にも、論文が取り上げられた。『リフレクションズ』という哲学的人間論を基調とする国際雑誌の国際編集員に指名されたが(2009年)、日本からの寄稿文を集めるのは簡単ではない。3号目には自分で何か(多分文学関連)書かなければと思うところだ。




ロシアの国際哲学会で
(上)閉塞知に関する研究発表(英語)を行う。後は通訳のスベトラーナ、非常に優能。博士課程の男性院生が寄ってきて、認識論がこんなにおもしろいとは思わなかった!と感想を述べてくれる。

(下)ボルガ河の船上で。大学関係者たちと記念に一枚。周知のように旧スターリングラードは、ヒトラーが敗れる最初のきっかけとなり、第二次大戦最大の激戦と犠牲を払った場であって、感銘もひとしお。
〈1998年9月〉
世界哲学会で
(上)米国マサチューセッツ州ボストンで行われた第20回世界哲学会で知識論の研究発表を行う。世界哲学会は、1900年にパリで始まり、戦後は5年に一度開かれている。前回1993年のモスクワに続いての参加。視野を広げるには外に出て考えるのが一番である。外国の友人ができるのも刺激的だ。それにしても、参加者にも発言者にも女性が多いことは、日本の学会を見ると信じがたい光景である。全く比較にならない。哲学のみならず、ここは我が国の限界と問題点を突きつけられるようで痛いところだ。
〈1998年8月12日〉
各地を訪問
哲学者島崎隆さん(一橋大学教授)一家をウィーンに訪ねる。シェーンブルン宮殿の大温室を背景に。この訪問の前に、ウィーンからバスで2時間15分のハンガリー国境近くにあるメルビッシュ(ノイジードラー湖畔)で数泊した。コウノトリが巣をかける地で、本当に美しい街であった。道中、シューベルトの歌曲「聴け聴けひばり」が脳裡でしきりに鳴り響いた。さもありなんと美景に見とれ心動かされて過ごした数日であった。1998年。

トップページへもどる

COPYRIGHT(C) HIAS基礎学術センター ALL RIGHTS RESERVED.